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相撲協会と部分社会論

連日、元横綱の暴行事件とその後の某親方と協会との関係が連日マスコミを賑わせています。

事の発端は、元横綱が地方巡業中に飲食店で後輩力士などと飲んでいたときに、後輩への指導が昂じて暴行・傷害に及んだというものです。

これに対する世間の反応はさまざまですが、中には「後輩指導のためであり、そもそも土俵上であれだけ激しいぶつかり合いをしているのだから、これぐらいはセーフでは」という意見も当初ありました。

警察も本件を刑事事件として立件するようですので、社会的な結論としてはアウトなのですが、世の中には「この業界ではこれくらい当たり前」という考え方が良く聞かれるのも事実であり、パワハラやセクハラの言い訳としてもよく聞かれるところです。

今回はこれについて考えてみたいと思います。

法理論の中で、このような問題を考える手がかりとして、「部分社会の法理」というものがあります。

これは伝統的には大学などの教育機関における自治と司法との境界を巡って考えられてきた理論であり、簡単に言えば、学校などの団体内部の規律問題について司法審査が及ばないという考え方です。

即ち、社会の中には学校や会社等の各種の団体があり、それぞれ団体毎のルールを持っています。これらのルールを何処まで司法が尊重し、団体のルールに委ねるのかが部分社会の法理という考え方であり、現実にも裁判所は一般市民秩序と直接の関係があるかどうかで、一定の場合に裁判所の司法審査の対象にはならないとしています。

具体的に、一般的市民秩序と直接の関係があるか否かはケースバイケースですが、暴力は、刑法で暴行・傷害として刑罰の対象となっているのですから、このような行為はやはり「業界内ルール」では説明がつかないということになるのでしょう。

同じような事は、会社でもいえるわけで、ワンマン社長等で、労働法はうちには関係ない等と豪語している方もいますが、労働法は当事者間の合意では変更できない強行規定を多く含む法律ですので、「うちの会社のやり方」で労働法に違反する行為を正当化すると後で痛い目にあうことになります。また、セクハラなども、セクハラをする事を内部的なルールとして正当化などできないわけですから、やはりこれくらいはうちでは当たり前というのは言い訳にはならないことになります。

ちなみに相撲の話に戻って、そうは言っても普段土俵であれだけ激しいことやっているのだからちょっとくらい殴ってもというてんについては、(稽古を含めて)土俵上でのぶつかり合いは、ルールの下でお互いに(ある意味)暴力行為に及ぶという同意があるため違法ではないと法律的には整理されるわけで、だからといって、土俵と関係ない場での指導で先輩力士から暴行を受ける同意があっとはならない訳ですから、普段、土俵でぶつかり合っていることは、土俵外での暴行の言い訳にはならないことになります。

以上の様な感じですので、「うちのルール」「我が社のやり方」「うちでは前からこうだ」というのを過信しすぎると痛い目にあいますので、世の中のルールにも気を配るようにしてください。